スタートはいつも「きれい」から



師を、走る



 「師走」とは、12月のことである。
由来は、坊主が走り回るほど忙しくなる月であるからと言われるが、正確には 御師が各家庭を巡り回るからである。
 それはさておき。
 十二月の末、一年が終わる数日前のその日のこと。
いつも暇を持て余しているカオティクス事務所は、「師走」と言われるこの時期に合わせるかのよう、何だかどたばたとして、忙しそうにしていた。
が、事務所入口のドアノブには「close」の文字。今日は、事務所は休みである。
 そう、カオティクスはこの一日を有効に使い、大掃除をしていたのだ。
来年を清らかな気持ちで迎える為に、という日の国の心を大切にする事務所員からの提案であった。

 まずは、大雑把な掃除である。
部屋の中をぱっと見て、目に入るもの全てを掃除・処分・保存する作業。
いつ依頼人が来ても大丈夫なように大体は片付けてあるが、何せ最近は仕事があまり入らなかったものだから、
退屈なストレスとずぼらな性格が祟って、所長のテリトリーである大机の上は荒れ放題であった。
参ったなー、と頭を抱えるベクター所長を横目に、床をあらかた片付けたエスピオが掃除機をかける。
上ではチャーミーが、飛行能力を生かして 物の上に溜まった埃をハタキで落としていた。
綺麗になった床を追うように、落ちた埃が汚れ進んでいることに、エスピオもチャーミーも気付いていない。哀れなすれ違いである。

 「埃っぽいな・・・」確かに掃除機で埃は吸ったはずなのだが、という疑問を片隅に寄せて、掃除機をかけ終えたエスピオが、窓を大きく開けた。
吹き込んでくる冬風が、肌にじんと染みる。太陽が、冬に対抗するように、強い日差しを降り注がせていた。
一年巡って寒くなった淡い冬空と、もう慣れてしまった 少しだけ排気ガスが混じった冷たい雪の空気を感じて、もう一年も終わりか、と実感する。
 「えすぴお、まだそうじおわってないよー?」チャーミーの言葉に、エスピオはふと我に返った。
 一仕事終えて思わず一息ついてしまったが、まだ掃除は終わってはいない。むしろ、戦いはこれからである。

 「戦い」とも言うべき次の戦場、掃除場は各自ロッカーであった。
一年経って捨てられないものや、整理が面倒で放って置かれたもの、その他等々がその中に放置されている。
忘れ去られた書類や、もはや原型を止めていない食べ物、時には金が見つかることさえある。
必ず誰かのロッカーから一つは、もはや何かすら分からない謎の物体が出てきたこともあった。
このように、何が出てくるか分からないロッカー掃除は、精神的にキツいところがあるし、本当に面倒だ。出来るなら放置してしまいたい。
放置すればするほど、それが魔の箱と化すことは分かっていることだが・・・。

 と、気に病んでいるのは、実はベクターぐらいである。
チャーミーは何が出ても面白がるし、エスピオは普段から整理整頓しているから、謎の生物が出てくることもない。
 机の大量の書類を整理しながらため息をつくベクターを横目に、エスピオは自分のロッカーの掃除に移ることにした。



 ガタン、少し力を込めると、ロッカーは容易く開いた。
中は少しガランとしている。入れる物もそれほどないし、入れるにしても最低必要な物しか入れないためである。
特に掃除し甲斐もない、すぐに終わるであろう、エスピオはそう容易に考えながら掃除に手を付けた。

 まずは、片隅にある箱に手を伸ばす。中に何が入っているかは既に把握しているが、とりあえず開けてみる。
手裏剣やクナイなどの武器がしまってあった。手入れは定期的にしているので、そのまま蓋を閉じて戻した。
 次に手を付けるは、上の棚に隠れていた小さな箱。何だろう、と首を傾げた後すぐに、ああ、エスピオは思い出した。
開けて見れば、そこには宝石がついたペンダントや指輪が数点、丁寧に、大切にしまってあった。依頼人から、報酬とは別に、お礼にと貰った物だ。
カオティクスは、こういうのは受け取らない主義ではあったが、どうしてもといわれ半ば押し付けられたものであった。
貰った物だから大切に扱わなければ、ということで物を一番大切に扱う人代表に、エスピオが保管していたのだった。
半ば押し付けられた、といっても、礼が込められた感謝の印。数点ではあるが、これだけ人の助けをしたのだ、やはり気分は良いものである。
仄かに喜びをかみ締めて、エスピオは蓋を閉めてそっと元あった場所に戻した。


 ふと隣を見れば、チャーミーがロッカーの掃除を既に行なっていた。
・・・と思えば、「なつかしー!」と歓喜の声を上げて外へ飛び出して行った。昔使っていた玩具でも見つけたのであろう。
 その奥、チャーミーのロッカーの隣を見ると、やっと机の上の掃除が終わったらしい、ベクターが少し疲れた表情でロッカー掃除に手を付けようとしていた。
扉に手を掛ける。力を込める、が、開かない。
ガタン。
開かない。
ガコガタン。
・・・開かない。

「・・・ンっだらちくしょう!!!」

 苛立ちが沸騰したベクターが、張り上げ声と共に思いっ切り扉を開けた。

 ガッチャーン!!バサバサバサ!!

 のああぁぁ、声が埋もれて行く。ロッカー内一杯に詰め込まれた書類が、雪崩のように押し寄せてベクターを飲み込んだ。
ロッカーに収まっていたことが、むしろ信じられないぐらいの量だ。
・・・これだから普段から整理しておけと・・・
書類の山からようやく顔を出し、雪だるまみたいになっている所長がおかしくて、彼にバレないようにエスピオはこっそり笑った。
こんな彼が事務所の所長とは、なんて失礼なことも思ってみたり。
 良い気分転換を済ませたエスピオは、自分のロッカー掃除を続行することにした。


 随分長く使ったタオル、古びてボロボロになった靴、まだ使えるだろうと思っていた物が少しだけ出てきた。
せっかくの機会だ、エスピオは用意していたゴミ袋にそれらをためらいなく捨てた。
もう用件も終わっただろう書類も捨てた。
大切にしまってあった依頼人からの手紙は、丁寧にしまい直して、先ほどの依頼人からの礼の品を入れた箱の隣に並べた。
 整理していたつもりだったが、やはり結構な数 不必要な物も入れていたらしい、改めてロッカー内を見ると、随分とすっきりした印象を受けた。
ふう、一息ついて、エスピオは一番奥にしまわれた最後の段ボールに手を付けた。



「・・・これは」

 驚きで、少々言葉を失った。
 段ボールの中には、数冊 古びたノートが入っていた。出して見ると、表紙は色褪せていて、開けば、紙は少し固くなっていた。
ページには、黒いインクの見慣れた文字が並んでいる。これが何か、エスピオは既に思い出していた。
 日記である。今までずっと書き貯めてきた記憶。その日その時の出来事や状況を書き記したものだった。
そう、当時の感情も、事細かに。
未来の自分がこれを読み返した時、その当時の自分の状況をはっきり思い出せるようにと 未来の自分に向けての配慮であった。

「懐かしいな・・・」


 過去の己の配慮は届いたらしい、読み返せば その時どんな状況下にあったか、しっかり思い出す事が出来た。
嬉しかった事、楽しかった事、悲しかった事、辛かった事、どれも鮮明に、その時の感情が流れてくる。
カオティクス事務所で働き始めた頃の記録もあり、本当に全てが初々しくて、懐かしかった。
ふと突然、自分が少し老けて見えたりもした。
成長した証なのだろうか、いや、意外とそれほど変わっていないのかもしれぬ。
そんなことをふわふわ思い浮かべながら、日記を読み返し、暫く懐かしき思い出に浸った。


 読み終えた後、さて、エスピオは困った。

 この日記たちを、捨てるべきだろうか。

 これを機に、捨ててもいいかもしれない。
今も日記は 毎日でもないが、時々は書いているから、いつかは捨てなければ溜まる一方だ。
むしろ、これを機に、捨てた方がいいのかもしれない。
きっと今捨てなければ、いつまでも捨てられないだろう。
 ・・・だが、これらに紐を掛けるのは、少し気が引けた。
今まで書き記してきた自分の記録を、そう容易く捨てるべきだろうか?
「否」、直ぐに思い付くはその一文字。
しかし、今捨てなければ・・・。

 エスピオの思考は、回り回って出発点に戻り、それを幾度となく繰り返すこととなった。



 隣のロッカーの主はもう戻っていたようだ。チャーミーは再びロッカー掃除を始めていた。
・・・と思えば、「まだあったんだー!」と再び歓喜の声を上げて外へ飛び出して行った。もう無いと思っていた玩具を見つけたのだろうか。
 その奥のロッカーの主は、既にあの書類の山の三分の二を片付け終えていた。
その隣には、ぱんぱんに詰められた、人が一人入れそうな大袋。
どれだけ書類を溜めていたのか、計り知れない量であった。よくこれだけ片付ける根気があったものだ。
 ふと窓の外を見る。午後2時を回ったばかりの外は、空を映した雪のためにやけに青々としていた。まだ日も暮れていない。
この日記が最後の敵だから、いくら何でも翌朝までは掛かるまい、時間は幾ら潰しても平気ではあった。

 ・・・平気なはずであった。





「・・・・・・」

 ふと窓を見た。向こうの景色は、綺麗な橙色に染まっていた。
オレンジの西日が部屋に差し込んでいる。止むことのない騒音と共に、カア、だるそうにカラスが一鳴きした。
 時はもう夕刻。
 はあー、長く深い溜め息を、エスピオは吐いた。
この頃にはもう既に片付け終えているだろう、そんな先ほどまでの考えは甘かったようである、それを今になって思い知った。
 目の前に置かれているのは、最早見慣れた古い日記。
持ってそれを観察しては考え、読み返しては悩み、そんなことを繰り返しているうちに日が暮れた、というわけである。
エスピオは肩をすくめた。ここまで決断がつかないとは思いもしなかった。



「なんだ、まだ終わってなかったのか」

 重低音の声が、後ろ上方から降ってきた。
体を捻って見れば、不思議そうにこちらを覗き込む所長、ベクターの姿があった。

「ああ・・・あとこれだけで終わりなのだが」

 困ったように笑って、ちら と視線を褪せた本たちに戻す。
「それ日記か?」視線の先の物を見て尋ねたベクターに、ああ、エスピオは短く返答して頷いた。

「捨てるか残すか、迷っている」

 それから続けて、溜め息混じりに言った。
なんだ、意外そうに眉を上げ「捨てられねぇのか?」という問いに、ああ、少し恥じるように返す。
「んじゃあとっとけばいいじゃねぇか」意見に、「しかし今捨てないと、いつまでも捨てられない気がするのだ」、眉をひそめて答えた。
・・・今の自分の状況を言葉で並べてみれば、なんて自分は優柔不断なのだろう、言った後に誤魔化すように苦笑いをしてしまった。




 埃かぶっていた自分の記憶。忘れかけていた自分の思い出。
その記憶は、その思い出は、あの時確かにいた自分自身だ。
その自分自身から見て、今の自分は、希望や理想、時には絶望を抱いた、
ぼんやりと想像していた、しかし確かにここにいる未来の自分なのだ。

 今があるからこその過去。過去があるからこその未来。――― 過去があるからこその、今。

 以前、過去には確かに自分が存在した。だから、今の自分が、確かにここにいる。
その大切な過去を、大切な過去を記したこの日記を、だからこそ捨てられないのだ。

 過去に縋っている訳ではない。
依存している訳でもないし、囚われている訳でも、決してない。
ただ、この、記憶の日記を捨てることは、




「・・・自分を捨ててしまうような気がするのだ、ベクター」

 捻っていた体を戻して、少し長い沈黙の後に、エスピオが目を伏せて呟くように言った。
 日記を捨てることが過去の自分を捨てることになるならば、
先ほどの考えに基づくと、過去の自分があるからこその今の自分もこの手で捨てる、ということになる。
自分で自分を捨てる・・・、まるで、自分で自分を否定しているように思えて、仕方がなかった。

「何言ってんだエスピオ」 頓狂な声で所長が返した。「昔は昔、今は今、昔と今のお前は違うだろ?」
「・・・。そうなのだ。分かっている」

 重い頭を支えるように、エスピオは額に手を当てた。
「けれど、」
そう言って彼は口を閉じてしまった。

 分かっているのだ。
 けれど、一度そう考えてしまうと、纏わりついて離れなくて―――





「本当、何言ってんだ、エスピオ」

 溜め息混じりの、飽きれたような所長の声が降って来た。
そう言われるのも仕方ないこと、エスピオは顔を上げることが出来なかった。
彼はどんな表情をしているのか、伺う勇気がなかった。
 しかし、その時、ぽん、肩に暖かなぬくもりが置かれた。

「昔と今の自分は違うが、確かに同一人物ではあるな」

 肩に置かれたそれは、所長の、ベクターの大きな手。
少しだけ驚いて 半分反射的に振り返ると、
所長は先ほどの飽きれた声とは全く逆の表情をしていた。

「日記もそうだ。過去の自分がいた証拠、過去の自分と考えてもおかしくはないかもな。
 そして、過去と今の自分は同一人物。
 日記を捨てる、つまり自分をゴミとして焼却処分する、いい気分にはならねぇなァ。
 だが、こう考えたらどうだ」

 彼の表情を、エスピオは面食われた顔をして見つめた。

 彼の表情――― 彼の微笑みを。

「日記は、日々を書き記した物。つまり、その日の自分を具現化したものだ。
 だから本当は、本当の過去の自分はお前の中にある。
 だったら、日記を捨てる、イコール自分を捨てる、なんてことにはならねぇだろ?」

 ベクターはその微笑みでエスピオを見つめ返したまま、続けた。

「過去の日々も、嬉しいとか辛いとか、大切なことも全部、お前の中にある。
 忘れたとしても、消えたわけじゃない。お前の中にあることには変わりねェ。
 それなら不安になることなんか何もない。
 だったら、これを機に一度手放すことが出来るだろ?
 そんなすっきりした状態で一年を迎えられたら、最高じゃねぇか」


「・・・ベクター」

 ふと、声が漏れた。
どんな表情をしていたのだろう、そういうと、そんな情けねぇ顔すんなよ!、
明るい声で答えたベクターは、エスピオの肩に置いていた手で、今度は彼の背を力強く叩いた。
少し痛いぐらい、けれど、これが彼の優しい励まし。



「何でも、スタートはまっさらな状態で迎えるものだろ!」



 なァ、エスピオ!

 微笑みから変わったその笑顔は、力強く、明るく、はっきりとした確信があった。
そんな表情で見つめ返されて、エスピオはつられるように頬を緩ませ、
それから目を閉じて、心から溢れる感情から、ゆっくりと微笑んだ。

 閉ざされた視界の中で、自分を見る。ずっと昔、過去の自分を。
そうだ、ずっとここにある。
彼の言葉が、すうと体に染みた。


「・・・ベクター」

 目を開けて、呼んだ名の主を見る。
今度は、しっかりと微笑んで。


「ありがとう」





 それから、過去の記録たちは紐で縛って、使用済みゴミ袋を集めていた部屋の隅に置いた。
少しだけ名残惜しいが、未練は全くない。

「ベクターには感謝しなければな」

 捨てゆくそれらに優しく触れて、エスピオは小さく呟いた。
だらしがない所長ではあるが、あのような一面があるから、自分は彼を尊敬しているのかもしれない。

「・・・ん?」

 ふと、そばにあった紐で縛られた書類の束に目がとまった。
と、次の瞬間、エスピオの表情が強張った。
よく見れば配達されたのは数日前。束の一番上の書類に書かれた用件の文字には
――― 「家賃滞納のお知らせ」。


「ベクタアアアー!!!」
「うおお気付かれたッ!!?」
「どういうことだこれは!しかもゴミとしてなかったことにしようとするとは!!」
「違うんだこれにはちと複雑なワケが」
「それはどんなワケか説明して頂こうか!!」

 そー固いこと言うなよ!全く固いことではない!!
怒鳴り声が飛び交う部屋に、「おなかすいたー!ごはんー!」と 外で遊び尽くしたチャーミーが勢いよく帰って来た。
 外はすっかり真っ暗で、街は自身の月より強い光に包まれていた。


 せめて、このだらしなさがなかったら。
エスピオは心の中で心底溜め息をついた。
やれやれ、年越しは蜜柑を食べるだけで終わりそうだ。



















  あとがきまそー


 楽しかったよ!最後のところとかめちゃ楽しかったよ!
エスピオ大好きですエスピオ。
彼は真面目だからかなり考え込んでしまうタイプだと思ってます。俺設定バンザイ

 実は、今回の話は自分が見たある夢からつくりました。
自分の家、学校の図工の時間とか美術の時間とかで作った作品とか、
子供の時に使った小さい手袋とか、使い終わった教科書とかを入れてて
いつの間にか足の踏み場もないカオスになってしまった部屋(倉庫?)があるんですよ。
自分はそこで数年前の自分の日記を発見して、捨てるか残すか悩んでるんですよね。
で、結局捨てられないまま起きちゃったんですけど、なんか、起きた後すごくもやもやしちゃって(笑)
なんか色々ネタに出来ないかな!と思って考えて、練ってたらこんな話かけちゃいました。
日記書きそうなのはエスピオだと思ったので、エスピオを主人公にしたらこんなことに(笑)

まあ、あれですよ。
過去であっても今であっても未来であっても自分は自分なわけで、
成長してても自分は自分って事実は変わらないですよね。
どんなに周りが変わっても、どんなに自分が性格イメチェンしても。
だから過去を羨ましがったり、振り返ってアンニュイになる必要なんてないんですよね。
なんとかこんとか考えて色々詰めてみました!
少しでも汲み取っていただけたら嬉しいなー

とまあこんなわけでありがとうございました!
苦情は受付・・・ないよwww


掲載日:10 01 23 Sat.
By 聖夜 ライト

本当は、12月中に載せたかったんですけど・・・
やはり1ヶ月遅れに定評のある自分wwww^p^




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